2018.4.8 よなは徹@Live&Pub Shibuya gee-ge.
2018年04月08日/ よなは徹
2018.4.8 よなは徹 たったひとり歌会 vol.56 (昼公演)@Live&Pub Shibuya gee-ge.

いつも多くの抽斗を開いて様々な音を聴かせてくれる徹さんのライヴ。今回は渋谷のライヴハウスでの公演です。日曜の昼下がり、公園通りの雑踏を抜けて辿り着いた会場は、それまでの喧噪の世界からまるで異次元にワープしたような時空が待っていました。

ステージに1つ置かれたスツールに草色の紋付に袴姿の徹さんが腰かけ、ぴんと伸ばした背筋の見ている方すら気持ち良くなる姿勢で奏で始めた三線の調べは「あがいてぃーだ」という新曲だそう。この調べ(あぁ「調べ」ってその響きも含めて良い言葉だなぁ)がまるで琴のように響き、後からタイトルを聞いたのですが「昇る太陽」という意味がぴったりとくる曲調でした。そして古典曲「稲まづん(いにまじん)節」が続き、品格のある上質な時の流れが場内の時計の進む速度をゆったりとしたものに変えていきました。

ここから聞き取ってメモしたタイトルなので怪しいのですが、薩摩侵攻の際に時の尚寧王が人質に取られた事を隠すために歌われたという「世栄節」、そして首里の大奥の正室が若い側室を花に例えてその若さを羨んだという「辺野喜(びぬち)節」と続いた2曲が不思議だったのです。イントロがまったく同じ。それもこれ、おなじみの「かぎやで風」のイントロじゃんという謎。もう似ているなどというレベルではなく、イントロクイズで流れたらお手付き必至な同じさだったのです。徹さんのライヴは毎回「なんでだろう」「どういうことだろう」といくつも調べたい知識欲が湧いてくるのですが、できる事なら「徹先生、質問!」と手を挙げてその場でこの定番イントロについて尋ねたかったのです。でもどう考えてもライヴの流れを途切れさせてしまうと思い断念しました。古典の世界も奥深くて面白いなぁ。

このイントロクイズ引っ掛け問題の2曲は古典の中でも短い1分ほどの曲だったのですが、次は約10分にも及ぶ「伊野波(ぬふぁ)節」でしたが、ゆったりとした調べは眠くなるどころか浮遊感さえ感じる心地よさに包まれました。ただ古典ライヴの前に昼食を済ませるのに際し、炭水化物は控えて血糖値の上昇を抑えておいて良かったとは思いました。そして1部のラストは徹さんのライヴで何回か演奏された、イケメン少年中城若松くんとそれを取り巻く痛い女性の話という組踊「執心鐘入」の中で歌われる「干瀬(ふぃし)節」で締められ休憩に。古典舞台の演目をドロドロ系ドラマと重ねて考えたら偉い人に怒られそうですが、以前見たドラマでストーリーがピークに達すると流れるシャ乱Qの「いいわけ」みたいなものだったのだろうななどと不埒な事を妄想をしちゃいました。

第二部は桜色の色紋付にお召し替えで登場し、古典を離れて徹さんの師匠の師匠にあたる津波恒徳さんの2曲「くがなー」「親子鷹」で幕開けです。鉄板ネタの「良い曲を書く人はなぜか性格悪い人が多いのですが恒徳さんは本当に性格良い人なんです。」という話で挙げられた良い曲を書く人たちの名前に思わずニヤッとしちゃいました。書けませんけどね。そして数あるナークニーの中から「富原宮古根(とぅんばるなーくにー)」。この曲の富原はずっと地名だと思っていたのですが、作られた富原盛勇さんのお名前だという事を初めて知りました。ちょうど来週、コザで10回目の「てるりん祭」が開催されるそうで、今年も徹さんは前川守賢さんと組んでワタブーショーを再現されるというお話から、照屋林助さんの「うとぅるさむん」を聴かせてくれたのですが、この曲は歌詞が方言ではないので自分にも理解でき、「怖いもの見たさ」を意味するタイトルのこの曲は給料日にちょっとだけ飲んで帰ろうと思ったら、飲み屋で気が大きくなって周りに奢ってしまい、空の月給袋を持って朝帰りするダメ父ちゃんのストーリーで、今の時代に聴いても漫談のようで面白いのだから、娯楽の少なかった時代に大ヒットの舞台を続けていたことが良くわかりました。

ここで「歌遊び」をしましょうと始まった「口説」。この「くどぅち」と言う言葉も良く耳にするのですが、一定の三線のリズムに乗って七五調の歌詞やセリフを入れていく、いわゆる今で言うところのラップミュージックなのだそうです。かなりセンスや技術を要する遊びだったのだなぁ。その中に織り込まれた「職業口説」は言葉もなんとなく理解できて大笑いしちゃいました。そして先人たちはこのリズムに乗って「黒田節」を歌ったりもしたそうで、徹さんもこれを現代風にやってみようと乗せはじめたのが松山千春さんの「大空と大地の中で」で度胆を抜かれたのですが、見た目似ているとかだけではなくて、はっと気づいたらこの曲の歌詞「果てしない 大空と 広い大地の その中で」も考えてみれば七五調なのですね。それにしても歌のメロディーと全然違う旋律とリズムを繰り返し弾きながらの口説は、遊びと呼ぶには高度すぎるものでした。

ライヴも終盤となり数少ない裏声を使う曲という紹介でスタートしたのが、徹さんの速度違反な速弾きが飛ばし捲くる「多幸山」です。カチャーシーの定番曲のひとつなのですが、もう指の動きに見入ってしまいそれどころではなかったのです。曲が終わった時に思わず息を止めて凝視していた自分に気付いたほどです。「ここで唐船どーいで終わりだと思っているでしょ」という、多分誰しもがそう思っていたところを突かれ、その裏をかくかのように最後は登川誠仁さんのおなじみのナンバー「油断しるな」で締められました。なんだか全体を通してはゆったりとした今日のライヴのエンディングにはむしろこれでよかったなぁとさえ感じましたし、先月御命日だった誠小先生もきっと喜んでいらしたのではないかな。そしてアンコールに応えてステージに戻って来てくれ、久米島のとても旋律が美しい曲ですという紹介で演奏された舞踊曲「仲里節」は本当にきれいなメロディーラインの曲でした。その時に徹さんが話されていた舞踊界の流派縛りの話が印象的でした。もちろん作者の権利などは大切なことですが、生み出した作品が多くの人に愛され広まった方が自分ならば嬉しいのになぁって思うのです。護得久先生の「沖縄には著作権はないよ!」の名言は大きな意味ではアンチテーゼなのかもしれませんね。多分違うでしょうが。

こうして昼公演でおこなわれた「たったひとり歌会」は幕を閉じました。自分としては休日の昼のライヴ、思ってもみなかった特別感があり、仕事上がりに駆けつけるとかではなくフル充電の態勢でゆったりとした時間と音楽に身を委ねることができ、なんとも心地よい体験でした。そして今回も徹さんは新たな抽斗を開いて覗かせてくれ、以前に開いた抽斗からは更にファイルを取り出して資料を見せてくれた感があります。なおかつ興味津々な自由研究の課題まで与えてくれました。かといって小難しい古典音楽教室や芸術鑑賞会でもなくあくまでもライヴでありギグなのです。ゆったりと過ごしたライヴハウスから清々しい気分で出て公園通りの雑踏に再び呑みこまれても、しばらくはその気分は失せる事がありませんでした。
いつも多くの抽斗を開いて様々な音を聴かせてくれる徹さんのライヴ。今回は渋谷のライヴハウスでの公演です。日曜の昼下がり、公園通りの雑踏を抜けて辿り着いた会場は、それまでの喧噪の世界からまるで異次元にワープしたような時空が待っていました。

ステージに1つ置かれたスツールに草色の紋付に袴姿の徹さんが腰かけ、ぴんと伸ばした背筋の見ている方すら気持ち良くなる姿勢で奏で始めた三線の調べは「あがいてぃーだ」という新曲だそう。この調べ(あぁ「調べ」ってその響きも含めて良い言葉だなぁ)がまるで琴のように響き、後からタイトルを聞いたのですが「昇る太陽」という意味がぴったりとくる曲調でした。そして古典曲「稲まづん(いにまじん)節」が続き、品格のある上質な時の流れが場内の時計の進む速度をゆったりとしたものに変えていきました。
ここから聞き取ってメモしたタイトルなので怪しいのですが、薩摩侵攻の際に時の尚寧王が人質に取られた事を隠すために歌われたという「世栄節」、そして首里の大奥の正室が若い側室を花に例えてその若さを羨んだという「辺野喜(びぬち)節」と続いた2曲が不思議だったのです。イントロがまったく同じ。それもこれ、おなじみの「かぎやで風」のイントロじゃんという謎。もう似ているなどというレベルではなく、イントロクイズで流れたらお手付き必至な同じさだったのです。徹さんのライヴは毎回「なんでだろう」「どういうことだろう」といくつも調べたい知識欲が湧いてくるのですが、できる事なら「徹先生、質問!」と手を挙げてその場でこの定番イントロについて尋ねたかったのです。でもどう考えてもライヴの流れを途切れさせてしまうと思い断念しました。古典の世界も奥深くて面白いなぁ。
このイントロクイズ引っ掛け問題の2曲は古典の中でも短い1分ほどの曲だったのですが、次は約10分にも及ぶ「伊野波(ぬふぁ)節」でしたが、ゆったりとした調べは眠くなるどころか浮遊感さえ感じる心地よさに包まれました。ただ古典ライヴの前に昼食を済ませるのに際し、炭水化物は控えて血糖値の上昇を抑えておいて良かったとは思いました。そして1部のラストは徹さんのライヴで何回か演奏された、イケメン少年中城若松くんとそれを取り巻く痛い女性の話という組踊「執心鐘入」の中で歌われる「干瀬(ふぃし)節」で締められ休憩に。古典舞台の演目をドロドロ系ドラマと重ねて考えたら偉い人に怒られそうですが、以前見たドラマでストーリーがピークに達すると流れるシャ乱Qの「いいわけ」みたいなものだったのだろうななどと不埒な事を妄想をしちゃいました。
第二部は桜色の色紋付にお召し替えで登場し、古典を離れて徹さんの師匠の師匠にあたる津波恒徳さんの2曲「くがなー」「親子鷹」で幕開けです。鉄板ネタの「良い曲を書く人はなぜか性格悪い人が多いのですが恒徳さんは本当に性格良い人なんです。」という話で挙げられた良い曲を書く人たちの名前に思わずニヤッとしちゃいました。書けませんけどね。そして数あるナークニーの中から「富原宮古根(とぅんばるなーくにー)」。この曲の富原はずっと地名だと思っていたのですが、作られた富原盛勇さんのお名前だという事を初めて知りました。ちょうど来週、コザで10回目の「てるりん祭」が開催されるそうで、今年も徹さんは前川守賢さんと組んでワタブーショーを再現されるというお話から、照屋林助さんの「うとぅるさむん」を聴かせてくれたのですが、この曲は歌詞が方言ではないので自分にも理解でき、「怖いもの見たさ」を意味するタイトルのこの曲は給料日にちょっとだけ飲んで帰ろうと思ったら、飲み屋で気が大きくなって周りに奢ってしまい、空の月給袋を持って朝帰りするダメ父ちゃんのストーリーで、今の時代に聴いても漫談のようで面白いのだから、娯楽の少なかった時代に大ヒットの舞台を続けていたことが良くわかりました。
ここで「歌遊び」をしましょうと始まった「口説」。この「くどぅち」と言う言葉も良く耳にするのですが、一定の三線のリズムに乗って七五調の歌詞やセリフを入れていく、いわゆる今で言うところのラップミュージックなのだそうです。かなりセンスや技術を要する遊びだったのだなぁ。その中に織り込まれた「職業口説」は言葉もなんとなく理解できて大笑いしちゃいました。そして先人たちはこのリズムに乗って「黒田節」を歌ったりもしたそうで、徹さんもこれを現代風にやってみようと乗せはじめたのが松山千春さんの「大空と大地の中で」で度胆を抜かれたのですが、見た目似ているとかだけではなくて、はっと気づいたらこの曲の歌詞「果てしない 大空と 広い大地の その中で」も考えてみれば七五調なのですね。それにしても歌のメロディーと全然違う旋律とリズムを繰り返し弾きながらの口説は、遊びと呼ぶには高度すぎるものでした。
ライヴも終盤となり数少ない裏声を使う曲という紹介でスタートしたのが、徹さんの速度違反な速弾きが飛ばし捲くる「多幸山」です。カチャーシーの定番曲のひとつなのですが、もう指の動きに見入ってしまいそれどころではなかったのです。曲が終わった時に思わず息を止めて凝視していた自分に気付いたほどです。「ここで唐船どーいで終わりだと思っているでしょ」という、多分誰しもがそう思っていたところを突かれ、その裏をかくかのように最後は登川誠仁さんのおなじみのナンバー「油断しるな」で締められました。なんだか全体を通してはゆったりとした今日のライヴのエンディングにはむしろこれでよかったなぁとさえ感じましたし、先月御命日だった誠小先生もきっと喜んでいらしたのではないかな。そしてアンコールに応えてステージに戻って来てくれ、久米島のとても旋律が美しい曲ですという紹介で演奏された舞踊曲「仲里節」は本当にきれいなメロディーラインの曲でした。その時に徹さんが話されていた舞踊界の流派縛りの話が印象的でした。もちろん作者の権利などは大切なことですが、生み出した作品が多くの人に愛され広まった方が自分ならば嬉しいのになぁって思うのです。護得久先生の「沖縄には著作権はないよ!」の名言は大きな意味ではアンチテーゼなのかもしれませんね。多分違うでしょうが。
こうして昼公演でおこなわれた「たったひとり歌会」は幕を閉じました。自分としては休日の昼のライヴ、思ってもみなかった特別感があり、仕事上がりに駆けつけるとかではなくフル充電の態勢でゆったりとした時間と音楽に身を委ねることができ、なんとも心地よい体験でした。そして今回も徹さんは新たな抽斗を開いて覗かせてくれ、以前に開いた抽斗からは更にファイルを取り出して資料を見せてくれた感があります。なおかつ興味津々な自由研究の課題まで与えてくれました。かといって小難しい古典音楽教室や芸術鑑賞会でもなくあくまでもライヴでありギグなのです。ゆったりと過ごしたライヴハウスから清々しい気分で出て公園通りの雑踏に再び呑みこまれても、しばらくはその気分は失せる事がありませんでした。
Posted by Ken2 at 23:58│Comments(0)