2017.12.17 金城優里英 ひとり唄会@Live & Shot.Bar Tarumassyu
2017年12月17日/ 金城優里英
2017.12.17 金城優里英 ひとり唄会@Live & Shot.Bar Tarumassyu

今年最後の県外ライヴに優里英さんが選んだのは西大井タルマッシュ。この場所では毎回違った内容を組み立てて聴かせてくれるので楽しみなのですが、今夜は「ひとり唄会」と銘打っているだけに、最近聴くたびに深みを増している優里英さんの歌声でどのように彩ってくれるのか更に楽しみです。

氷点下近い体感気温の外から会場に入って来た優里英さん。完全に凍えています。それはそうですよね。いくら沖縄も寒くなってきたと言っても15℃くらいは違うのですから。指もなかなか動かないだろうなぁと心配しましたが、そこは流石にプロです。オープニングの「時代の流れ」を弾き始めると、一気に場内の空気を入れ替えてくれました。次の「廃藩の武士(はいばんぬさむれー)」と二曲続けて戦後の沖縄を代表する歌手、嘉手苅林昌さんの曲です。いいなぁ…。いい曲だなぁ。ニワカの自分は名前は知っていても詳しく聴いたことがなく、誰かのライヴでカヴァーされたのを何度か耳にしたくらいなので、こうして意識してじっくり聴いたのは初めてかもしれません。あとから優里英さんが今夜のライヴのコンセプトを語られた時にわかったのですが、亡くなられた偉大なる沖縄音楽の先人たちの曲を集めた流れで、滅多に唄うことがなかったり、初めて唄う曲もあるとの事。それは自分にとってもまたとない機会です。というのも、古くから歌い継がれてきた民謡は聴く機会も多いのですが、昭和生まれの新しい曲(と言っても半世紀くらいの歴史はあるのですが)は、ある意味すぽっと抜け落ちているエリアなのです。

続く二曲は知名定男さんのお父さん、知名定繁さんの作品で「嘆きの梅」と「別れの煙 」です。歌詞は方言で唄われているのですが、あとから検索して内容を読むと、時代が近いだけに何百年前の民謡よりも心情が伝わるものがあります。生で聴いていてもところどころわかる言葉が出てきて、それを繋ぎ合わせこんな内容なのかなぁと妄想しながら聴いていたのですが、優里英さんの説得力ある歌声が内容の想像を手助けしてくれたのは言うまでもありません。

この流れだと外す訳にはいかない先人、そう登川誠仁さんの二曲「歌ぬ心」「豊節」が続きます。ニワカの自分が沖縄音楽に出会い、琉球フェスティバルに通うようになり始めた頃にかろうじてその姿をステージで拝見する事ができた方ですので馴染みのある方です。偉大なだけでなく、とてもチャーミングでカッコいい「誠小」さんでした。その作品をこうして孫のような年齢の優里英さんが歌い継いでいるのがなんとも素晴らしいし、きっと雲の上で喜んでいらっしゃるはずです。

一部の最後は喜屋武繁雄さんの「砂辺の浜(しなびぬはま) 」「便り(たゆい)」。特に「便り」は以前にもこの場所で聴く機会があり、その後に歌詞を検索して胸に刻んだのですが、遠く離れた両親に宛てた便りの内容で、切々と心を込めて歌う優里英さんの声にそれを思い出して涙出そうになりました。

休憩を挟んでの後半はマルフクレコード創業者で「沖縄新民謡の父」と称されている普久原朝喜さんのナンバー「物知り節 」「懐かしき故郷」からスタートです。「物知り」とは村の年長者などの事で所謂黄金言葉(ありがたい、ためになる教え)が溢れた教訓歌のようです。おなじみの「てぃんさぐの花」もそうですが、こうして歌で教訓が次世代に伝えられていくというのはとてもすてきな事だと思うのです。東京の沖縄居酒屋さんでライヴがある時「てぃんさぐの花」が歌われると、それまで飲んで騒いでいた沖縄出身のお客さんが水を打ったように静かになり聴き入っていたのを思い出しました。

ここまで男性歌手の曲ばかり続いていたのですが、ここで女性歌手が唄った曲をと紹介された次の曲に鳥肌が立ちました。糸数カメさんという方のヒット曲で「夫婦船(みーとぅぶに) 」というナンバーです。というのもこの曲は個人的にとても大切な曲で、自分は銀婚式の記念日を妻と那覇で過ごしたのですが、その際訪れた優里英さん母娘のお店でのライヴで、お母様の清美さんがふたりにこの曲を唄ってくださったのです。
世界ははてのない船旅のようなもの
夫婦よりほかは頼りにならない
互いに心ひとつにし走りなさい夫婦船
時の来るまでは漕がないといけないだろう
頼りにするなよ誰も 夫婦仲良く
日々の暮らし方は笑い喜び
こう歌われるこの曲もある意味教訓歌でしょう。その日以来Parsha cluBの「かながな」と並んで自分がこれからの人生を歩んでいくのにとても大切な曲となったのです。優里英さんは「私にはまだこういう情け歌を歌いこなすのには早いかと思いますが」と語っていましたがとんでもない!心に深く深く沁みました。

初めて歌うので緊張するー!むしろ速い曲の方が緊張するー!と始まった波田間武雄さんの「津堅海ヤカラ」、てるりんこと照屋林助さんの「あやかり節」、玉城安定さんの「平和の願い」と続く流れに、自分の中でこれらの昭和に生まれた曲は民謡なのか歌謡曲なのかという線引きに拘っていたことが馬鹿馬鹿しく思えてきました。いつ生まれたかとか、楽器は何を使っているかとか、どんな歌詞なのかで民謡になる訳でもなく、単に人々に愛されている歌が民謡なのでは?それでいいのではないかなと思ってきたのです。ネット検索で「沖縄音楽」の項には「民謡と歌謡曲との境目が明確ではなく、民謡を称する新作が日々新たに作られる状況が現在も続いている。このことも、沖縄の民謡の大きな特徴である。」と記されています。ならば細かい事に拘る必要ないし、ぶっちゃけどっちでもいいじゃん!って話だなぁと。どちらにせよ「音楽」であり「好きな曲」には違いないのですから、ジャンル分けはCDショップの店員さんか、iTunesの中の人にお任せしましょう。

そんな自由な気持ちになってきた頃にはライヴも終盤に。この方も今年亡くなられた山内昌徳さんの「屋慶名クワディーサー」で、沖縄民謡には上句、下句でワンコーラスが構成されている曲があり、そうなると四番までしかなくても八番まであるくらいのボリュームとなり、しかもやたら長い曲となるそうでこの曲がまさにそれだとの紹介。確かに聴いていても違う曲が交互にマッシュアップされているようで興味深い曲でした。

ラストは前回この会場でも唄われてグッときたナンバー、前川朝昭さんの「謡の道」です。「歌い語ろう多くのみなさんの心に 歌の節々に心を込めて歌おう」と唄われるこの曲は、
今夜のセットリストの流れの最後にこの曲を持ってきたのは、まるで優里英さん自身もこの歌詞を噛みしめ、己に言い聞かせているかのようで、なんとも聴いていて胸がいっぱいになりました。

寒空に外に掃けた優里英さんを一刻でも早く呼び戻そうと心持ち早目の手拍子に応えて震えながら戻って来てくれてのアンコールは「まだクリスマスすら済んでいないのですけど、今年県外最後のステージなので」という紹介で、「謡の道」同様前川朝昭さんの曲で「除夜の鐘」です。この曲を知らないだけでなく、沖縄と除夜の鐘が結びつかずにびっくりしたのですが、どうやら那覇の波之上にある護国寺で突かれる除夜の鐘の唄のようです。「大晦日と元旦、一夜で隔てられた年の垣根。だんだん暮れて行くに連れ、一年のあれこれが名残り惜しく感じられてならない。」という歌詞の曲が、今宵をしめくくるにはぴったりの選曲でした。

こうして終了したライヴ。「ひとり唄会」と称された通り、優里英さんの「唄」をじっくりと聴くことができたのみならず、昭和の沖縄音楽界を代表するアーティストの曲で構成されたそれは素晴らしいセットでした。そこには優里英さんの先人たちへのリスペクトと愛が満ち溢れていました。護得久栄昇先生の名言に「沖縄に著作権はないよ!」というのがありますが、もちろん作者の権利や利益を守るために著作権が必要なのはわかります。ただ、こうして若い歌い手さんによって歌い継がれてゆき、自分のようにそれによって知らなかった曲に出会う機会も与えられます。そうしてその曲が愛されて、また次の世代に歌い継がれていくのであれば、曲にとっても、作者にとってもこれほどの幸せはないのではないでしょうか。それが「伝承されていく」という事であり、曲が生き続けていく事だと思うのです。著作権はないよというのは、それだけ音楽が愛されている証しだと思ったのです。そしていつも優里英さんは「いまはインターネットという便利なものがあるので、歌詞の内容は自分で調べてください。」と話します。ずっと「このツンデレめ!」と思っていましたが、特に今回のライヴのあと実際に1曲ずつ調べて、聴くことができるサイトでオリジナルを聴いたりするうちに、自分が昨夜出会った曲が一層近しいものになっていくのを感じました。もしかしたら、これも「伝承」なのかもしれませんね。そんなライヴを聴かせてくれた優里英さんに感謝しつつ、来年はどんな出会いを用意してくれるのか楽しみでなりません。
今年最後の県外ライヴに優里英さんが選んだのは西大井タルマッシュ。この場所では毎回違った内容を組み立てて聴かせてくれるので楽しみなのですが、今夜は「ひとり唄会」と銘打っているだけに、最近聴くたびに深みを増している優里英さんの歌声でどのように彩ってくれるのか更に楽しみです。
氷点下近い体感気温の外から会場に入って来た優里英さん。完全に凍えています。それはそうですよね。いくら沖縄も寒くなってきたと言っても15℃くらいは違うのですから。指もなかなか動かないだろうなぁと心配しましたが、そこは流石にプロです。オープニングの「時代の流れ」を弾き始めると、一気に場内の空気を入れ替えてくれました。次の「廃藩の武士(はいばんぬさむれー)」と二曲続けて戦後の沖縄を代表する歌手、嘉手苅林昌さんの曲です。いいなぁ…。いい曲だなぁ。ニワカの自分は名前は知っていても詳しく聴いたことがなく、誰かのライヴでカヴァーされたのを何度か耳にしたくらいなので、こうして意識してじっくり聴いたのは初めてかもしれません。あとから優里英さんが今夜のライヴのコンセプトを語られた時にわかったのですが、亡くなられた偉大なる沖縄音楽の先人たちの曲を集めた流れで、滅多に唄うことがなかったり、初めて唄う曲もあるとの事。それは自分にとってもまたとない機会です。というのも、古くから歌い継がれてきた民謡は聴く機会も多いのですが、昭和生まれの新しい曲(と言っても半世紀くらいの歴史はあるのですが)は、ある意味すぽっと抜け落ちているエリアなのです。
続く二曲は知名定男さんのお父さん、知名定繁さんの作品で「嘆きの梅」と「別れの煙 」です。歌詞は方言で唄われているのですが、あとから検索して内容を読むと、時代が近いだけに何百年前の民謡よりも心情が伝わるものがあります。生で聴いていてもところどころわかる言葉が出てきて、それを繋ぎ合わせこんな内容なのかなぁと妄想しながら聴いていたのですが、優里英さんの説得力ある歌声が内容の想像を手助けしてくれたのは言うまでもありません。
この流れだと外す訳にはいかない先人、そう登川誠仁さんの二曲「歌ぬ心」「豊節」が続きます。ニワカの自分が沖縄音楽に出会い、琉球フェスティバルに通うようになり始めた頃にかろうじてその姿をステージで拝見する事ができた方ですので馴染みのある方です。偉大なだけでなく、とてもチャーミングでカッコいい「誠小」さんでした。その作品をこうして孫のような年齢の優里英さんが歌い継いでいるのがなんとも素晴らしいし、きっと雲の上で喜んでいらっしゃるはずです。
一部の最後は喜屋武繁雄さんの「砂辺の浜(しなびぬはま) 」「便り(たゆい)」。特に「便り」は以前にもこの場所で聴く機会があり、その後に歌詞を検索して胸に刻んだのですが、遠く離れた両親に宛てた便りの内容で、切々と心を込めて歌う優里英さんの声にそれを思い出して涙出そうになりました。
休憩を挟んでの後半はマルフクレコード創業者で「沖縄新民謡の父」と称されている普久原朝喜さんのナンバー「物知り節 」「懐かしき故郷」からスタートです。「物知り」とは村の年長者などの事で所謂黄金言葉(ありがたい、ためになる教え)が溢れた教訓歌のようです。おなじみの「てぃんさぐの花」もそうですが、こうして歌で教訓が次世代に伝えられていくというのはとてもすてきな事だと思うのです。東京の沖縄居酒屋さんでライヴがある時「てぃんさぐの花」が歌われると、それまで飲んで騒いでいた沖縄出身のお客さんが水を打ったように静かになり聴き入っていたのを思い出しました。
ここまで男性歌手の曲ばかり続いていたのですが、ここで女性歌手が唄った曲をと紹介された次の曲に鳥肌が立ちました。糸数カメさんという方のヒット曲で「夫婦船(みーとぅぶに) 」というナンバーです。というのもこの曲は個人的にとても大切な曲で、自分は銀婚式の記念日を妻と那覇で過ごしたのですが、その際訪れた優里英さん母娘のお店でのライヴで、お母様の清美さんがふたりにこの曲を唄ってくださったのです。
世界ははてのない船旅のようなもの
夫婦よりほかは頼りにならない
互いに心ひとつにし走りなさい夫婦船
時の来るまでは漕がないといけないだろう
頼りにするなよ誰も 夫婦仲良く
日々の暮らし方は笑い喜び
こう歌われるこの曲もある意味教訓歌でしょう。その日以来Parsha cluBの「かながな」と並んで自分がこれからの人生を歩んでいくのにとても大切な曲となったのです。優里英さんは「私にはまだこういう情け歌を歌いこなすのには早いかと思いますが」と語っていましたがとんでもない!心に深く深く沁みました。
初めて歌うので緊張するー!むしろ速い曲の方が緊張するー!と始まった波田間武雄さんの「津堅海ヤカラ」、てるりんこと照屋林助さんの「あやかり節」、玉城安定さんの「平和の願い」と続く流れに、自分の中でこれらの昭和に生まれた曲は民謡なのか歌謡曲なのかという線引きに拘っていたことが馬鹿馬鹿しく思えてきました。いつ生まれたかとか、楽器は何を使っているかとか、どんな歌詞なのかで民謡になる訳でもなく、単に人々に愛されている歌が民謡なのでは?それでいいのではないかなと思ってきたのです。ネット検索で「沖縄音楽」の項には「民謡と歌謡曲との境目が明確ではなく、民謡を称する新作が日々新たに作られる状況が現在も続いている。このことも、沖縄の民謡の大きな特徴である。」と記されています。ならば細かい事に拘る必要ないし、ぶっちゃけどっちでもいいじゃん!って話だなぁと。どちらにせよ「音楽」であり「好きな曲」には違いないのですから、ジャンル分けはCDショップの店員さんか、iTunesの中の人にお任せしましょう。
そんな自由な気持ちになってきた頃にはライヴも終盤に。この方も今年亡くなられた山内昌徳さんの「屋慶名クワディーサー」で、沖縄民謡には上句、下句でワンコーラスが構成されている曲があり、そうなると四番までしかなくても八番まであるくらいのボリュームとなり、しかもやたら長い曲となるそうでこの曲がまさにそれだとの紹介。確かに聴いていても違う曲が交互にマッシュアップされているようで興味深い曲でした。
ラストは前回この会場でも唄われてグッときたナンバー、前川朝昭さんの「謡の道」です。「歌い語ろう多くのみなさんの心に 歌の節々に心を込めて歌おう」と唄われるこの曲は、
今夜のセットリストの流れの最後にこの曲を持ってきたのは、まるで優里英さん自身もこの歌詞を噛みしめ、己に言い聞かせているかのようで、なんとも聴いていて胸がいっぱいになりました。
寒空に外に掃けた優里英さんを一刻でも早く呼び戻そうと心持ち早目の手拍子に応えて震えながら戻って来てくれてのアンコールは「まだクリスマスすら済んでいないのですけど、今年県外最後のステージなので」という紹介で、「謡の道」同様前川朝昭さんの曲で「除夜の鐘」です。この曲を知らないだけでなく、沖縄と除夜の鐘が結びつかずにびっくりしたのですが、どうやら那覇の波之上にある護国寺で突かれる除夜の鐘の唄のようです。「大晦日と元旦、一夜で隔てられた年の垣根。だんだん暮れて行くに連れ、一年のあれこれが名残り惜しく感じられてならない。」という歌詞の曲が、今宵をしめくくるにはぴったりの選曲でした。
こうして終了したライヴ。「ひとり唄会」と称された通り、優里英さんの「唄」をじっくりと聴くことができたのみならず、昭和の沖縄音楽界を代表するアーティストの曲で構成されたそれは素晴らしいセットでした。そこには優里英さんの先人たちへのリスペクトと愛が満ち溢れていました。護得久栄昇先生の名言に「沖縄に著作権はないよ!」というのがありますが、もちろん作者の権利や利益を守るために著作権が必要なのはわかります。ただ、こうして若い歌い手さんによって歌い継がれてゆき、自分のようにそれによって知らなかった曲に出会う機会も与えられます。そうしてその曲が愛されて、また次の世代に歌い継がれていくのであれば、曲にとっても、作者にとってもこれほどの幸せはないのではないでしょうか。それが「伝承されていく」という事であり、曲が生き続けていく事だと思うのです。著作権はないよというのは、それだけ音楽が愛されている証しだと思ったのです。そしていつも優里英さんは「いまはインターネットという便利なものがあるので、歌詞の内容は自分で調べてください。」と話します。ずっと「このツンデレめ!」と思っていましたが、特に今回のライヴのあと実際に1曲ずつ調べて、聴くことができるサイトでオリジナルを聴いたりするうちに、自分が昨夜出会った曲が一層近しいものになっていくのを感じました。もしかしたら、これも「伝承」なのかもしれませんね。そんなライヴを聴かせてくれた優里英さんに感謝しつつ、来年はどんな出会いを用意してくれるのか楽しみでなりません。
Posted by Ken2 at 23:59│Comments(0)